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こぼれおちた労働形態

これを知る人は本職以外いないだろう。

土差アップ

クワでもモリでもない。土壁を塗る時に助手が左官屋のパレットに差し出す時の道具である。
昔の日本家屋の土壁はワラを多く含んでいるため、練った土はスコップではさばき切れず、こうしたモリ状の道具でないとすくえない。土は差し出すというより放り投げる。2階の壁などでは下から放り投げ、上にいる左官屋がパレットでキャッチし、かなりタイミングとリズムを要し2人の息が合わないとできない高度なパフォーマンスである。

土差2人組
想像図描いてみました。こんな感じだったんじゃないでしょうか。

このナイスな身体性の2人、わりと妙な関係である。それは呼称に表れており、コテを持って塗るのは「左官屋」、土を練って投げるほうは「手ったいのおっさん(手伝いのおじさん)」と呼ばれる。一見、立場上「左官屋」が上位でマウントをとり、「手ったいのおっさん」は隷属した下位に位置づけられていると思いきや、意外にも対等で別々の職業として同列なのだそうだ。
家を普請する時、頂点に立つのは大工の棟梁(つまり工務店)で現場監督としてコーディーネートするのだが、それ以外の職人、土方・配管屋・建具屋・電気屋・水道屋などは横一列のランク付けで、「左官屋」と「手ったいのおっさんん」もその中のひとつになるという。

「手ったいのおっさん」など他につけようがなかったのか。かなりな蔑称ではないかと思うのだがそれに甘んじる事なく実は重職で、左官屋が塗る前の土壁の下地である竹の編み込みを作ったり(左官屋はこれをしない)、土間や基礎工事など地面の左官作業を担当する。けっして「手伝い」ではなく個別独立したポジションで、いくら難易度が高いとはいえ塗るだけの左官屋より偉いのではと思ってしまう。

長い社会制度の中で、前近代的な未分化のまま名付けもされずにある職業。そのこぼれ方やニュートラルさに驚きと羨望を禁じえないのは私だけか。

土差先

全長140cm、モリ部分12cm×18cm、4本の爪は太さ9ミリで先端にかけて平らに叩いてあります。
安物は簡単な鉄板でできていますが、こちらは手打ちハガネ製で全然違います。
左官道具のブランド、東京「カネカ」の逸品であります。
固い樫の柄がすげてありますが、長期在庫にて少々反っています。使用には支障ありません。
今はもちろん製造していません。

在庫僅か!
お買い物はこちら

土差
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漱石の座卓テーブル

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折り畳み角脚。

このあいだ、15年ぶりくらいに売れました。
いまどきこんなの買う人いるんですね。脚だけで安物のテーブルが3つくらい買えるんじゃないの。
しかしながらこの角脚は頑丈です。もうとうになくなったメーカーですが日本製のモノ作りの根性がうかがえます。
ぶ厚い鉄板加工、うるしのように美しい焼付塗装、素晴らしいです。
4本1セット。高さ275、脚根元60×45はちょっと太短くてブサイクではありますが・・・。
在庫僅か!
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ところで、こういう短い脚を使った座卓というか、ちゃぶ台というのは大昔からありそうな気がしますが、意外と歴史は浅いそうです。夏目漱石の小説「こころ」で、下宿の奥さんが主人公の「先生」に夕飯を出す場面があり、当時ちゃぶ台を使って飯を食う家族はほとんどなかった、珍しい、というようなことが書かれています。

 それまではというと、ご飯は一人一人お膳で出されていたそうです。つまり芸者とか呼んだ座敷の宴会みたいなあれです。考えてみると、そのお膳というのも簡素なようでいて、意外と丁寧で簡潔な生活様式です。どうも朝鮮半島や日本で広まったようで、どっちが元か知りませんが、パーソナルというかポータブリィというかノマド的というかその適宜さは実に日本的であります。あるいはご乱心の家父長が食膳をひっくり返しても被害少なめですむし・・・まあそれはいいとして、「こころ」にはこうあります。

 下宿を始めた頃、学生だった「先生」は客人扱いで女中が膳を運んでいたのですが、やがて母屋へK(先生の親友で恋敵)とともに呼ばれて食事するようになり、気をつかった主人公は食卓を奥さんに寄付した、とあります。
 それは当時ひじょうに珍しく、わざわざ御茶ノ水の家具屋で造らせた別注品だそうで「薄い板で造った足の畳みこめる華奢な食卓」となっています。その頃は大量生産などなく全て職人の手造りなので手間賃などもあってないようなものですから「先生」も躊躇なく注文したと思います。

 やがて明治の終わり頃からこの座卓テーブルやちゃぶ台が既製品として登場し、大正にかけて日本中に普及したそうです。だからこの角脚もおそろしく売れに売れた金物であったに違いありません。やがてこういうのも輸入のペラペラの安物に変化し国内メーカーは撤収、現在もあるにはありますがごく細々とした特殊需要のみ。
 でもこれらは中国製よりも、さらに「こころ」の先生が家具屋に造らせたものよりずっと良質であるはずです。
量販店の安物テーブルではなく、どうしても自分でテーブル作りたい!という、ごきとくで、古いテイスト好きで、漱石のようにきちょうめんな方には当店の角脚がお薦めです。

 三角関係で先生から出し抜かれたKは自殺し、先生も罪悪感にさいなまれ明治の終わりと共に後を追い自殺してしまいます。生涯、違和感のある女性を介した三角関係を書き続けた漱石ですが、この脚をパタパタと畳んでオン・オフ自在に可変する座卓テーブルを小説に持ち出したのは、重い題材のなか無意識のうちに息抜きしていたのでは・・・。
 とかく小説というものは読み落とすようなどうでもいいところに肝心な核心があったりするもので、その不明確さが読書の愉しみと言えるかも知れません。


新角脚箱

号外 タケノコ堀り新入荷!

お待たせしました、タケノコ堀りクワが入荷しました!
と、世界に発信しても当地山科でしか使えないクワ、実に狭小なマーケットぶりに気が遠くなります。別にネットにのせんでもええやんという感じ。

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タケノコ堀りというのはなかなかの重労働であります。まるごとゴロンと取るには専用のクワが重宝します。そのクワは各地域によって形状が全然違います。山科型はせいぜい伏見の深草あたりまで。
こんなに山科型のクワが長いのは先端が出る前の土中のタケノコを掘るためです。離れたところからクワ入れしテコのように掘り起こすためこの長さが必要になってきます。頭が出たタケノコならもっと短くていいのですが、京都では柔らかい上品なタケノコが好まれるため、先端が出る前の土に潜った状態のものを掘り起こします。
量販店で普通の農耕クワがタケノコ用として出回っていますが全然違います。あれではうまく掘れないでしょう。一度もタケノコ掘ったこともない私が言うのもなんですが・・・。

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また山科の藪は粘土状で、ゴリゴリとねじる様にクワ入れし太くはりめぐった根をブチブチ切っていかなければいけないのでこれくらいの鍛錬された四角い棒状でないといけません(他地域はもっと平べったい)。先端部は特殊焼入合金鋼で欠けずへたらず、末長く使えます。
柄も現在入手困難となった日本製の選りすぐり1本樫です。

難易度最大級の火作り品で、熟練した技術を持つ鍛冶職人しかつくれません。そんな人は今や絶滅寸前!
当店は兵庫県の御トシ80才の名工に製作依頼しているのですが、後継者なくこの人死んだら終わり。ぜひ今のうちにお買い求め下さい。運賃別枠につき電話・ファックスでお問い合わせ下さい。

49,680円
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山科というところは昭和の高度経済成長期までは見渡す限り竹藪だらけでありました。
芥川の「藪の中」や黒澤映画「羅生門」において竹藪で繰り広げられる幻想的舞台は明らかに山科であり、大昔から山科は竹藪によって都合よい隠蔽・隠遁・曖昧化を人々に提供してきました。山科の山科たる由縁とも言えます。その竹藪はさぞや薄暗くてクラウディで想像力豊かな時空間であったと思います。

現在は山科盆地の四方山際へ行きますと竹林はまだありますが、平地においてはほぼ無くなりました。高度経済成長にのり京都・大阪のベッド・タウンとして宅地が急増、それは山科の成長を促し経済も潤ったのですが、ほんの50年ほどで竹藪が壊滅してしまう事実には驚かされます。

すぐ近くの得意先で京都薬大の植物学の先生がおられて、納品に行くといつも雑談に花咲かせるのですが、その先生によりますと
残存するのは蓮如上人の旧邸宅あたりと旧渋谷街道沿いの旧家の敷地内の竹藪のみとの事です。その旧家は日本の森林の第一人者とされる京大の農学者(故人)でこのままでは山科に竹藪が無くなると危惧し邸宅内に植林されたそうです。
いづれにしても竹藪、竹というのはひじょうにアジア的で、妖気漂う性質を有し剝いても剝いても皮ばかり、中身が無くつかみどころ無い植物のようです。そこはとても日本的。竹藪のあった頃の重層的な精神的ありかの話をするうち、その先生が面白いですよと薦めてくれた本があります。

内山節 著 
「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」

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ツカミのいい題名であるがオカルトでもふざけた本でもはないけっこう有名な論考。
著者は1965年以降、人はキツネにだまされなくなったという。日本人の豊かな記憶、織り込んだような精神構造を平明な言葉で読み解く試み。

私は山科を竹藪に戻そうというプロジェクトをひそかに思いつき、有志(ごく2、3人)と時々語っています。駅前の一等地を広大な竹藪に再開発したらこれこそ21世紀型の都市プラン、山科ならではのアート・プロジェクトです。どこでもあるユニクロやニトリもって来て喜んでたらあかんでほんま。大丸は竹藪の地下に入ったらよろしい。竹の根だらけの天井にして・・。

より多くの人々がそこへ訪れ、発達・発展では得られなかった充足感を感じ、非合理的ゆえに多種多様さを受け入れることでしょう。竹藪のもとでどんどんキツネやタヌキにだまされましょう。

金物に表れる日本人のフランスに対する憧憬と偏愛。

号外。

映画を見るならフランス映画です。

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ヌーベルバーグの旗手、フランソワ・トリュフォー没後30年映画祭。
京都みなみ会館で2週間に渡り23作が上映されています。(21日まで)毎日数本づつやってますがオールナイトででもしてくれないと行けたものではない。平日の昼日中から映画館行く人も限られると思うのですが・・・
しかしこういうのを朝から見られる人の気が知れません。これらの映画は1日を棒に振ってしまう力があります。それくらい面白く美しく、また逃れられない重い鎖を心に巻きつけられてしまうのです。私は朝から見たら発狂します。

私が見たのはトリュフォーの中でもっともハズレとされる通好みの「柔らかい肌」、代表作「大人は判ってくれない」です。
どちらも頭痛がするくらい神経質で暗鬱でシャンパンのように洒脱、それは日本から見るフランスそのもの。日本は昔からフランスにとても弱いのです。そしてフランスは日本に関心が無い。

大人は判ってくれない[1]


金物もフランスを冠った商品がやたらありました。それは利器や工具・道具類ではなく装飾的要素が強いインテリア系金物においてです。フランス蝶番(ちょうつがい)、フランス落し(窓を止める金物)、フランス幕カン(カーテン吊り)、まったくフランスと関係ないのにそう命名されているのはとても滑稽です。
明治以降の洋風家屋の需要に伴い各種金物が国内製造されるようになり、フランスはその華やかな西欧の代表的憧憬なのでしょう。逆にハサミやレンチなど実利的な道具だと英、独の名前が冠ります。「ドイツスニップス」や通称「イギリス」というレンチ工具などあるのですが、ドイツ蝶番やイギリス取手などは聞いたことがありません。フランス・レンチやフランスハサミなどもありません。
誰が決めたわけでもなく自然とイメージの収れん先が決まっているようです。

フランス座付取手

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真鍮製,,L150×W34×D27
使うほどに真鍮の味わい。
流線型のシンプルなデザインだがフランス愛とは裏腹にに高級感がまったくない。そこがいい。
個人的には上下反対向きに付けたほうが美しいと思うのですが。
マイナス木捻子がいい方はお申し出ください。
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他サイズもあり。 
もちろん廃番、在庫残り僅か!

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今はフランスもややこしいですが、フランスに対する日本人の偏愛は根強いものがあります。憧憬度は他国を抑えて断トツ1位。
お客さんでも、ちょっと向こうに住んでいたりしようもんなら例外なく言います。
「昔ボクがフランスにいた頃にはねえ・・・」
あるいは息子。「商社勤めしている息子がフランスにおりますねん」 うれしくてしゃあない感じです。
これがイギリス、ドイツだと自慢する人がだいぶ減ります。アメリカだともっと確率が落ちると思います。(なんやアメリカか、てな感じ。)それほどフランスは魔力、フランス万歳!



下はフランスとまったく何の接点もないところにフランス座付取手が使われている例です。
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しのだ屋


しのだ屋。
三条京阪の高山彦九郎前に昔からあるうどん屋はんです。
京阪電車が地下に潜ってからの風雪にも耐え変わらず存続。
改装も何もせずそのままの姿の大衆食堂。
中華そばや、ごはんにカレーうどんのあんが乗った「皿盛り」が有名です。
なかなかうまいですが味は人それぞれ・・・こういうのもすぐ流行してしまい価値が神格化してしまうのでご用心。
ブランドにならずいつまでもハズれていてほしい店です。

年季の入った一番大きいフランス座付取手がついています。
しかもマイナスの木捻子で。こういうのはマイナスのほうがマッチします。(頭つぶしやすいですが)

厄除火箸のパラドクス

アンコールにお応えしましてもう1本!

新年明けましておめでとうございます。
仕事も始まり、そろそろ松の内も明ける頃になると・・・さあ、厄除け火箸のシーズンです!
と、何度声だかに言ってもまずほとんどの人が知らない、という甲斐のなさには呆れますが 何はともあれ1月から2月の旧正月頃にかけて厄年を迎える人に火箸を贈る慣習が到来します。

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知っている人と知らない人とのあまりのかけ離れ方といい、全く確証のない地域分布といい今どき珍しいわかりにくい情報形態です。そして何より金物屋でそんな迷信まがいの品を売っているというバランスの悪い怪しさ!
村上龍の小説で少年グループの1人が対立するおばさんグループとの決闘のため金物屋に拳銃を買いに来る場面があるのですが、それに近い感じです。火箸のお客さんというのはこそっと 「・・・厄除けの火箸とか・・ありますか」 と私の顔を覗き込むように尋ねます。「変な事を聞きますが・・」という無言の前置きがあるかのように。そんなあやしい間合いで始まる火箸の販売ですが、実はその内容、誰もよくわかっていない・・というのがこれまたあやしい風習なんです。

当地山科や伏見、あるいは滋賀では細々売れますが、京都市内の人はほぼ知らない。(山科も伏見も京都ではない。違う町です。)また亀岡、丹波あたりは売れているようです。メッカは火の神様(仏様?)宝塚の清荒神であろうと調査に赴くも境内に山ほど火箸が奉納されていたがその来歴・分布は全然ワカラズ!寺側にとってはそんな事はどうでもいいわけです。千数百年ものあいだ日々同じ事の繰り返し、ただただ川面の水泡のごとき人の営みを祈るのみ。寺でわからんので宝塚市立図書館でもレファレンスを受け民俗史の文献をあさりましたが詳細は一切ワカラズ


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清荒神のおびただしい数の厄除け火箸。

でも今までの販売傾向から推測しますと、だいたい中国自動車道沿いを中心に荒神信仰(かまどの守護)に基づいて伝わっているのではと思います。つまり兵庫県中部山間~丹波方面がメインであり、南方面の播州、山陽地区には縁がないと私はにらんでいます。亀岡方面には及んでいるが京都市内はすっとばして大阪、奈良の人も意外と知らない。飛鳥のいにしえより伝わるわりに奈良で普及していないのも腑に落ちません。その点在の仕方が謎。

風習やしきたりという行動様式は必ず構造があり人々の深層心理が現われますが、自分で買わずに周囲から贈答されるという主客未分の関係性はとても慎みやかで日本人的です。あまりにか細いスキマをぬって連綿と伝承されてきた厄除火箸ですが、そのスキマは奥のほうで深く広く中空になっているのかも知れません。

そして今の今まで誰もこの行き渡り方や縁起の謎を問うことがなかったのは見事です。グレーはグレーなままで。厄除火箸に拡張や発展はまるで似合いません。恵方巻きのように成り下がってはいけない。だから厄除火箸の紹介は常にパラドクスにさらされ悩むところであります。私はバチ当たりな事をしているのかも知れません。・・儲かってへんのに先にバチだけ当たったらたまりませんな・・・。


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イカリだけというのもあります。
もともとは冷蔵庫かわりの井戸の上げ下げに使用。
在庫僅か!


これでブログは終わります。余分なお話しでした。
みなさま、本年もどうぞ宜しくお願い致します。



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Author:mikitubo
BOOTな金物店主
…現代アートと金物店の四つ辻…

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